1.国際シンポジウムの開催情報

国際共同研究センター学術研究交流団 中国同済大学、復旦大学とセミナーを開催

2024年3月9日に、青山貴子学長をはじめ、国際共同研究センター学術研究交流団は中国・上海の同済大学を訪問し、同大学の政治・国際関係学院と「新時代における日中戦略的互恵関係の構築と展望」と題するセミナーを開催しました。また、同日午後には、復旦大学を訪問し、同大学の日本研究センターと「山梨学院大学/復旦大学学術交流会」と題する学術研究交流会が行いました。詳細は下記開催レポートをご参照ください。

■セミナー開催レポート

 

国際シンポジウム「脱グローバル化における国際協力について」

2023年3月10日に、本学と北京大学国際戦略研究院が主催する国際シンポジウム―「脱グローバル化における国際協力について」が、本学66号館孔子学院棟の会議室にて開催されました。

国際シンポジウムポスター

 

2.研究成果・活動報告

中国復旦大学と学術交流会を開催

2024年3月9日、青山貴子学長を含む本学国際共同研究センター学術交流団は復旦大学の日本研究センターを訪問し、学術交流会を開催しました。詳細は下記の交流会開催レポートをご参照ください。

学術交流会開催レポート

中国同済大学と経済セミナーを開催

2024年3月9日、青山貴子学長を含む本学国際共同研究センター学術研究交流団は、中国上海にある同済大学を訪問し、同大学の政治・国際関係学院と「新時代における日中戦略的互恵関係の構築と展望」研究セミナーを開催しました。詳細は下記セミナー開催レポートをご参照ください。

経済セミナー開催レポート

中国国際問題研究院と国際学術交流会を共催

2024年3月9日に、本学国際共同研究センターと中国国際問題研究院は「不確かな国際情勢と東アジア地域の平和と協力への展望」と題する国際学術交流会を共催しました。詳細は下記の交流会開催レポートをご参照ください。

学術交流会開催レポート

 

国際学術シンポジウム「国際秩序の転換期における東アジア地域の協力と課題について

2023年12月2日に、本学法学部および国際共同研究センタ-ならびに中国政法大学政治公共管理学院が共催する、国際学術シンポジウム「国際秩序の転換期における東アジア地域の協力と課題についてが本学にて開催されました。詳細は下記プログラム・紀要等をご参照ください。

シンポジウムプログラム

シンポジウム紀要

シンポジウム開催レポート

 

国際共同研究センター学術交流団が中国を学術訪問

2023年9月17~22日、国際共同研究センター学術交流団は、センター設立後初めての海外出張を行いました。中国の北京と天津を訪問し、北京大学国際戦略研究院、中国国際問題研究院、中国政法大学政治・公共管理学院及び南開大学日本研究院など研究機関とミニシンポジウム、座談会、報告会などを開催し、日中関係をめぐって政治、外交、経済、経営などの分野について学術交流を展開し、多くの成果を上げました。

学術交流の詳細は【学術訪問報告書】をご覧ください。

 

国際シンポジウム「ポスト・パンデミック時代の東アジア国際協力について」

2023年6月24日に、本学国際共同研究センター及び中国のアモイ大学(厦門大学)国際関係学院・南洋学院が共催する国際シンポジウム「ポスト・パンデミック時代の東アジア国際協力について」が本学にて開催されました。

■シンポジウムプログラム

■シンポジウム紀要

 

3.出版物

熊達雲著 『清末中国の法制近代化と日本人顧問』

◆目次
 まえがき
第一章 修訂法律館と京師法律学堂の成立
 はじめに
 第一節 修訂法律館の創立経緯
 第二節 修訂法律館の業務内容と組織構造
 第三節 京師法律学堂の創立経緯
 第四節 京師法律学堂の在り方
 おわりに
第二章 日本人教習、法律顧問の招聘経緯――梅謙次郎、岡田朝太郎、小河滋次郎、志田鉀太郎を中心に
 はじめに
 第一節 日本人教習、法律顧問招聘の提起
 第二節 梅謙次郎招聘の失敗
 第三節 岡田朝太郎の招聘経緯
 第四節 小河滋次郎の招聘経緯
 第五節 志田鉀太郎の招聘経緯
 おわりに
第三章 松岡義正の招聘について
 はじめに
 第一節 松岡義正招聘の提起
 第二節 梅謙次郎による松岡義正の推薦
 第三節 沈家本が松岡義正の招聘を受け入れた理由
 おわりに
第四章 京師法律学堂における日本人教習の教育活動
 はじめに
 第一節 講義の内容とテキスト
 第二節 講義の様子
 第三節 学生の成績と進路
 第四節 京師法律学堂に対する評価
 おわりに
第五章 京師法律学堂における民事関係法学の教育と松岡義正
 はじめに
 第一節 『民法総則』に関する講義について
 第二節 物権法の講義について
 第三節 債権法の講義について
 第四節 民事訴訟法の講義について
 第五節 破産法の講義について
 第六節 中国における民事関係法の教育に対する松岡の貢献
 おわりに
第六章 「大清民事訴訟律草案」の編纂と松岡義正
 はじめに
 第一節 「大清民事訴訟律草案」が参考にした外国法はドイツ法かそれとも日本法か
 第二節 「大清民事訴訟律草案」の条文の八五パーセントは「日本民事訴訟法改正案」からの翻訳
 第三節 修訂法律館およびその職員たちと「大清民事訴訟律草案」との関係
 第四節 松岡義正こそ「大清民事訴訟律草案」の原案起草の担当者
 第五節 松岡義正の役割に対する評価
 おわりに
第七章 日本人顧問の中国における滞在期間、待遇と評価
 はじめに
 第一節 日本人顧問の中国における滞在期間
 第二節 日本人顧問の待遇について
 第三節 日本人顧問に対する評価
 おわりに
 あとがき
 主要参考文献
 巻末資料・京師法律学堂第一期生名簿
 索引
出版社:明石書店
出版時間:2023年11月


◆本書のあらすじ
第1章は「修訂法律館と京師法律学堂の成立」と題し、清末に進められた法制度の近代化事業の中心的事務を担当していた修訂法律館、法律近代化後にその実施の推進役を担当する法曹関係者の教育育成を務める京師法学堂の成立経緯について検証するものである。本書の主人公たちが清末の法律近代化のために活躍していた舞台について紹介する必要からこれを設けたわけである。
第2章は「日本人教習、法律顧問の招聘経緯―梅謙次郎、岡田朝太郎、小河滋次郎、志田鉀太郎を中心に」と題し、京師法律学堂から法学教習、修訂法律館から法典編纂「調査員」として招聘された、または招聘される予定の日本人顧問の招聘経緯を巡り検証を加えたものである。長い間、梅謙次郎が中国からの招聘を受けて法典の起草編纂に取り組んだという話が伝えられているが、実際には中国に赴任していなかった。この経緯はここで明らかにされる。
第3章は「松岡義正の招聘について」と題する。これは本来第2章で取り扱うべき内容であるが、本書が検証する重点を松岡義正に置き、彼が他の顧問と較べれば殆ど無視されてきた事実に加え、彼は学士学位程度の人物であるにもかかわらず、なぜ民法、民事訴訟法という重要な法典の起草、編纂の担当者として招聘されたのかにつき独立した一章を設け、究明する必要があるのではないかと考えたわけである。
要するに、修訂法律館や京師法律学堂の創立、そしてその機関に賦与された事業は前人未到の事業である。一方、既存法の見直し、新しい法律の編纂事業を遂行するために時間が切迫しているのに対し、修訂法律の館員たちには伝統的法律の知識に蓄積が多い者がいるが、近代化法典の起草・編纂においてはどこから手をつけるべきかを知らない。また、館員の中には海外留学、特に日本留学を経験した若者も少なくなかったが、法的知識が不完全であることや法律編纂の経験の乏しさから、このような重責を担うことは困難であった。このジレンマを解決する方法は、外国から専門家を顧問と教習に迎えるほかない。清朝廷はすでに憲政推進の見習いの対象を日本と決めていたので、これらの顧問や教習も日本から採用するしかなかった。しかし、上記の京師法律学堂の教習と修訂法律館の「調査員」の4人、岡田朝太郎、松岡義正、小河滋次郎、志田鉀太郎がどのように中国に応募し、どのような目的で招聘されたかの経緯については、これまで系統的かつ専門的な研究が見当たらなかった。この2章を通して、この謎を解くことに焦点を当てる。
第4章は「京師法律学堂における日本人教習の教育活動」と題する。新しい法典が制定された後、効果的に施行されるように、修訂法律館の主導で創立された京師法律学堂において、日本人教習は、法曹実務者の予備軍に対し、どのような教育活動を展開し、学生たちはどのようにして新しい近代的な法律知識および新しい法律を施行する能力を身につけるのかを概観しておきたい。
 第5章は「京師法律学堂における民事関係法学の教育と松岡義正」と題する。この4人の教習兼法律編纂顧問のうち、松岡義正は最も知名度の低い人物である。彼が中国滞在中にどのような事業に取り組み、どのような役割を果たしたのか、知る者は極めて少なく、世間から忘れられた存在だと言っても過言ではない。そのため、本章は松岡義正に重点を置き、「興滅継絶」(滅亡した国を復興し、絶えた家を継ぐ)の意味で紹介している。この中で、松岡義正が担当していた民事関係法の講義について、当時在学中の学生が聴講した記録を用いて編集・出版された講義教材を通して、民法総則、物権法、債権法、民事訴訟法、破産法の順に紹介・検証し、松岡の講義の特徴や教え方について知ることができた。また、松岡が中国の民事関係法の教育の発展のためにどのような役割を果たし、貢献したかを評価し、松岡が中国の民事法律教育の規範化の基礎を打ち立て、中国の民事法律教育のために系統的な教科書を残すなど多くの方面で貴重な貢献をしたとの結論を得た。
 第6章は「『大清民事訴訟律草案』の編纂と松岡義正」と題する。学者たちは歴史に残された史料の研究と考課を通じて、岡田朝太郎と大清刑律、大清刑事訴訟律、小河滋次郎と大清監獄律、志田鉀太郎と大清商律などの法典の編纂関係について、今まで刊行された研究論文等により、彼らが中国の法律近代化に貢献したことが肯定的に評価されている。しかし、大清民律、大清民事訴訟律などの民事関係法の起草・編纂に取り組んだ松岡義正は、ほとんど言及されていないようであり、特に大清民事訴訟律草案の起草について松岡の役割に懐疑的な学者さえいた。
この結果に至った理由として、以下のことが考えられる。まず、修訂法律館と松岡自身および他の参加者たちがその事業に取り組んだ証拠を残していない。次に、清王朝の突然の崩壊により、当時、修訂法律館が編纂した民事法典の原始資料の行方が不明になった。最後に、近代民事関係法は中国の伝統法系の中で独立した地位がないこと。特に中華人民共和国の樹立後から改革開放に至るまで、民事関係の法律は終始欠如しており、人々は民事関係法にあまり関心を持たなくなり、研究者も当然これに対して研究の興味を示さない。
 民事関係法は複雑であり、筆者は史料の制限を受け、更に能力不足により、松岡と全体の民事関係法の編纂との関係を調査し検討することは難しい。それゆえ、現有の資料を基に、迂回的に接近する手法をもって大清民事訴訟律の編纂過程における松岡義正の果たした役割を検討することとした。従って、本章は松岡が中国に来る前に編纂に参加し、最終稿が作成されたものの、日本帝国議会での審議には至らず、且つ、狭い範囲でしか公開されていなかった「日本民事訴法改正草案」と「大清民事訴訟律草案」及び当時の日本の現行の「日本民事訴訟法」との照合を通して、「大清民事訴訟律草案」の条文の80パーセント以上が「日本民事訴法改正草案」に由来しており、誰もがよく知っている現行の「日本民事訴訟法」が参考の対象物ではないことが判明した。「大清民事訴訟律草案」は日本の現行の民事訴訟法とは多くの違いがあるため、修訂法律館の中国人館員の創意工夫であるかのように見せかけている。そこで本章では、修訂法律館でこの法律の起草を担当した可能性が囁かされていた中国人館員と松岡の学識と経歴を調査し、比較してみた結果、中国人館員の中には民事訴訟法のような複雑な法律を編纂する力を有する者がおらず、松岡義正が唯一、大清民事訴訟律草案を起草・編纂する資格を有しているとの結論が得られた。
 第7章は「日本人顧問の中国における滞在時間、待遇および評価」と題する。いままで、日本人顧問が中国に滞在した期間は明確ではなかった。特に松岡義正についてはさらに情報が錯綜していた。本書は公文書を調べて一つひとう明確にした。また、日本人顧問が中国で受けた待遇について優遇されすぎたという批評がよく見受けられる。本書は様々な視点から検証し、顧問たちが中国の法律近代化の推進、法曹実務者予備軍の育成に果たした役割と較べれば、清政府から支給された報酬が過分に高いとは言えないとの結論を下した。