14箱根駅伝写真:山梨学院大広報 編集:オフィスT&F90年代の優勝を報じた陸上競技専門誌「練習が継続できれば必ず強くなる」と飯島監督 山梨学院大は92年、94年、95年と箱根駅伝に3回優勝した。初参加した87年から10年も経たずに旋風を巻き起こしたプルシアンブルー(当時のスクールカラー)が残した印象は、今も色褪せることはない。 その後も3位以内に5回入るなど、箱根駅伝の強豪に定着していたが、10年の3位を最後に5位以内がない。さらに至近7大会は10位以内の大学に与えられるシード権(翌年の出場権)も取ることができていない。 近年の駅伝ファンは山梨学院大が強豪校だったことを、昔日のことと思っている。「そう思われるのは本意ではありません」と飯島理彰監督。その思いの裏側には、自身の優勝経験がある。「私が2年生のときに初優勝しました(飯島監督は4区区間5位)。甲府市内のパレードやテレビ出演などもありましたが、上田誠仁監督(現顧問)や4年生たちの喜びは大きかったのですが、自分たちはそれほどでもなかったんです。しかし3年生で早稲田に負けて、優勝と2位の違いの大きさを実感しました。4年生で勝ったとき(4区区間2位)は、優勝を勝ち取りに行く過程の難しさ、苦しさはありましたが、やはり喜びが違いました。それを知っているからこそ、今の学生にも、そのときは3年生以下にも、同じ喜びを経験させてあげたい」 現状が、優勝争いができる戦力でないことは承知している。自分たちの時代はこうだった、という話し方はあまりしないが、過去の練習時の膨大なデータは「道しるべ」として活用している。夏合宿など当時から同じ場所で続けているので、90年代の選手や、近年の学生トップ選手だった井上大仁(三菱重工)の練習時のタイムと比較して、選手たちのモチベーションアップに役立てている。 選手との接し方は変化しても、伝統校の矜持として変えない部分もある。「練習を継続すれば必ず強くなります。昨日の自分より、今日の自分は絶対に強い」 その象徴が今回の箱根駅伝1区区間8位の木山達哉と、10区区間5位の篠原楓だ(P6参照)。「4年間かけて成長した。山梨学院大らしい選手」と、飯島監督を喜ばせた。 マラソン日本代表を何人も輩出した三菱重工の黒木純監督も、高校記録保持者を育成した佐久長聖高・高見澤勝監督も、チームが低迷していた時期を経験した。だがその間に、芯をぶらさずに続けたことがあった(P9参照)。 現役学生も次のように話す。「過去の優勝経験は山梨学院大の強みです。優勝したときにどういう練習をして、どういうチーム状況だったのか、積極的に聞きたいですね。当時のメニューをスピードを上げるなど、今の時代に合わせてやってみたい」(砂川大河・3年)。 飯島監督も「僕らも優勝経験をプラスにしたいと思ってやっているし、そういう気持ちで取り組む選手を1人でも増やしたい」と熱く話す。 山梨学院大の栄光は、必ず今に生きる。90年代の箱根優勝3回を今の強化にどう生かすか?90年代の箱根優勝3回を今の強化にどう生かすか?「練習が継続できれば必ず強くなる」と飯島監督「練習が継続できれば必ず強くなる」と飯島監督
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