陸上競技部〔中長距離・競歩・駅伝・マラソン〕

陸上競技部〔中長距離・競歩・駅伝・マラソン〕TOP > 陸上競技部〔中長距離・競歩・駅伝・マラソン〕監督 上田誠仁コラム

監督 上田誠仁コラム

卒業生に贈る言葉

2017年3月

スタートラインに立つ

孤独とは違う刹那の感覚

今この時は
過去からの結果
未来への原因

心の奥で期待と不安が交錯する
悔やむ過去が積み重なれば
心の澱となり
脚は泥炭の中へと埋まる

挫折という壁を乗り越え
敗北という谷底から這い出た者は
全ての呪縛から解放さる

歓喜のゴールを目指す日々の鍛錬
それは
静かに訪れるスタート前の不安と期待の逡巡を克服するためにある

まだみぬ未来に向けて駆け出す足音や息遣いは消え去っても
君たちの過ごした時間の集積が結果となり歴史として刻まれる

そして
今日もまた君たちの過ごしたグランドには
しっかりと前を見つめて走り出す後輩たちがいる

君たちの残した足跡に新たなる歴史を刻むために

社会人として旅立つのならば
君たちの背中を後輩たちが見つめていることも忘れず誇りを持って過ごしてほしい

▲Page Top

甲斐絹織りの襷

2015年12月

 92回目を迎える箱根駅伝は、われわれにとって30年連続出場という節目の大会でもあります。1987年の第63回大会からの歴史の継承とするならば、そのタスキリレーはさらに意義深いものとして捉えなければなりません。なぜならば、単なる時間の経過が歴史として形を残すのではなく、その時間の中に生きた人々のあり方が歴史や伝統となるからだと思うからです。
 そのような思いで箱根駅伝を迎えようとする今年の秋に、大村智さんがノーベル医学生理学賞を受賞されるニュースが飛び込んできました。
ノーベル賞を受賞される方は、どなたも人類の文化や生活または未来に向けての偉大なる発見や発明をされた方々であり、その業績は感嘆の声さえも飲み込んでしまうほどに素晴らしいことであることに他言はないと思います。
とりわけ大村博士が山梨県韮崎市のご出身であることで、とても身近な存在として喜びを感じさせていただきました。また、今回の受賞理由として、主にアフリカ大陸や中南米などで発症する、失明の危険性のあるオンコセルカ症という寄生虫から感染する病から、2億人以上ともいわれている人々を救う特効薬イベルメクチンを開発したこと。それを無償で提供したということで感動もひとしおでした。
私自身が幾度かアフリカのケニアに滞在した経験から、現地でこのような医薬品が行き渡り、その効果が絶大であるということが、どれほど人々の生活に貢献したかを身近に感じることができたからです。
ノーベル賞を受賞されるということは、世界の誇りでもあり日本の誇りでもあります。当然山梨の誇りでもあるわけですから、我が事のように喜びを感じさせていただいております。
 そんな中、大村博士は今回の受賞に際し、たびたびコメントで「おかげさま・協力・感謝・粘り強く・あきらめない・こつこつと・サポート」というキーワードを語っておられました。
まさしく私たちが襷にこめる想いと同じ言の葉であり、スピリッツであると心に染み渡りました。
 大村博士の言葉を聞きつつ、山梨という地に思いを馳せている中で、ふと山梨の歴史的地場産業である富士吉田の「甲斐絹(カイキ)」という絹織物が頭をよぎりました。
「30回目の大会を迎えるにあたって甲斐絹織りの布で襷はできないものだろうかと。」
全国でも屈指の細糸、高密度の先染織物である甲斐絹の製法は、志としての色を先に細い絹の糸に染めこみ"こつこつとあきらめないで粘り強く"織り上げてゆく工程は、そのように研究活動を続けてこられた大村博士のスピリッツでもあると思ったからです。
 タスキを作る布を織り上げるとすれば、縦糸がそれぞれのチームに与えられた365日の時間軸でしょう。横糸はチームメイトで紡いできた、日々の"志"であると思います。
 縦糸が平等に与えられた時間軸とすれば、横糸の"志"が、紡ぎ方の差を生むのかもしれません。
その差は託す事を、頼ることと履き違えないことに始まり、チームを支えてくれる人々への感謝の思いを込める事により、やがてチーム力となって大会での結果として反映されるのかもしれません。
 襷の作り方でチームの力がつくなどとは考えていません。大村博士の偉業とその背景にある膨大な努力の時間に敬意を表し、同じ山梨の地で多くの方々からの励ましを受け、力を育むことができて来た我々は、感謝の心を一緒に織り込んでいただきたかったからです。

 そこで平成14年に甲斐絹織りの伝統工芸を復活させようと設立された"甲斐絹座"に無理を言ってお願いさせていただきました。
 どのチームもこの一年間、自覚と責任をまっとうできる選手の育成と、自信と誇りにあふれた表情でスタートラインに立ち、しっかりとした、絆を襷に託せるよう織り上げる努力をしていると思います。

それぞれの思いを託されたタスキは、凛として張り詰めた寒気の中、
新春の1月2日午前8時。
スタートの号砲を待つ。



甲斐絹織りの襷



*およそ400年前、先染織物にその源を発し、独特の風合い・光沢・色柄を誇った高級絹織物「甲斐絹」。
江戸時代より昭和の初期まで、幾多の時代を経て高品質な伝統織物としての評価を確立してきました。
「甲斐絹」の素晴らしさは細絹糸を先染めし平織りにする技法で、独特の風合いと光沢にあるといわれております。過去に織られた現存する織物の柄は少しも色褪せることなく時を越えて今もその瑞々しさを私たちに伝えています。
しかしながら、化学繊維の普及などで時代の波に飲まれるようにその姿を消してしまいました。
伝統の心と技は、近代化と高度経済成長の荒波にもまれながらも新しい織物の中に面々と受け継がれていました。
山梨県富士北麓地域の織物職人が集い「甲斐絹」を復活させようと、平成14年に「甲斐絹座」を設立しその技と心を未来に伝え残そうと取り組んでいます。
その一歩を踏み出す心意気もこの襷にはこめられています。

▲Page Top

『闘志を抱きて丘に立つ君たちへ』

2015年4月

4月1日 いよいよ新年度の始まりです。
新入社員を迎えた会社や教育機関、官公庁などいずれの組織でも辞令交付式が行われ、決意も新たに一歩を踏み出す季節といえます。
学校法人山梨学院でもおごそかに新年度スタートの式典が行われました。
古屋忠彦学長が式辞の中で高浜虚子の「春風や闘志抱きて丘に立つ」の俳句を引用して新年度に向かう志を述べていただきました。
若者が唇を真一文字に引き締めて吹きすさぶ春風に向かい、今から厳しく困難な目標に立ち向かい挑戦してゆこうと決意を新たに固めている姿が想像できました。
新入生の諸君のみならず学年をひとつ上げた部員たちにも再度このような気持ちでスタートを切ってもらいたいと思います。

私自身も新たな気持ちで君達と向き合う為に、次のような激励の詩を作ってみました。

『闘志を抱きて丘に立つ君たちへ』

時の流れの中をチームメイトと共に過ごし、
    喜怒哀楽の心象風景を共有する。
時の流れは、時に厳しく無常に過ぎ去り、
    君達に、絶望と挫折の深淵を体験させる。
時の流れは、時に優しくたおやかに過ぎ去り、
    君達に、安息と思索の広がりを与えてくれる。
時の流れは、時に激しく慟哭の中をさまよい、
    君達に、忍耐と打開の知恵を授けてくれる。
時の流れは、時に強く感動と感謝の連鎖を生み、
    君達に、凛として生きる事の大切さを気付かせてくれる。
より速く、より強く、より逞しく。
    人が持つ能力の限界に挑む真摯な姿は、
    いかなる文豪の書き綴る壮大な叙事詩の中にも、
    書き尽くせない奥行きのあるドラマを生む。
それぞれが持つ1年間という時間軸が縦糸ならば
夢や希望をかなえるために、励まし労わりあい
それぞれが持つ志を、日々の横糸として
紡ぎ織り上げた布こそが
襷である。

どうか、かけがえの無いそんな時の流れが、無駄にならないよう学生競技者としての自覚と誇りを胸に歩んでください。
チームの一員として過ごす時間の中で、必ずお互いの心象風景が見えてくるようになってくるはずです。
新年度のスタートを切るに当たって、君達がつかむべきメッセージは共に汗を流し鍛えあう時間の中にこそあります。

▲Page Top

この日この時を迎えた君達が振り返ら無ければならぬこと

2015年3月14日

山梨学院大学陸上競技部
監督 上田 誠仁

2011.3.11
あの日あの時、君たちはどこで何をしていましたか?
入学を目前にして大いなる希望と少しばかりの不安を胸に過ごしていたに違いありません。
そんな時、想像を絶する被害をもたらした東日本大震災が起きました。
君たちは新たに何を思い入学してきましたか?
その思いを抱き続け卒業を迎えましたか?

あれから4年。
その歳月で復興がなしえるほど、生易しい災害ではないことを誰もが知っています。
今も尚、過酷な避難生活を余儀なくされている方々の慟哭が聞こえてくるかのようです。肉親や友人を失った消失感と絶望感は筆舌に尽くしがたいものがあるでしょう。
そのように心の中に暗い影を落としながら、懸命に日々を生きていることを思わずに入られません。
したがって、その思いを少しでも伝えるべく、箱根駅伝に出場するすべてのチームのランナーと指導者は「頑張ろう日本」のメッセージステッカーを関東学生陸上競技連盟の提案でユニフォームに貼りつけて出場しています。
沿道の声援を含めテレビ中継や新聞・雑誌等の報道を通じて、箱根駅伝を取り巻く環境は回を重ねるごとに盛り上がりを見せています。
大学スポーツとして過分の評価と報道をしていただいていると認識させていただいています。それゆえにメディアにそのメッセージが映し出されればそれでよしというわけではありません。
学生競技者として常に襟を正してこの歴史と伝統ある大会と向きあい、勝負の行方だけではなく「頑張ろう日本」メッセージをつけて走ることの意義を少しでも思って前に進んでほしいからです。
私たちは本当に「頑張ろう日本」のメッセージを発信することが出来ているのでしょうか。
今一度卒業式を迎えるに当たって振り返ってみてください。

あの日あの時に何を思ったか
振り返るためにその年に作成した箱根駅伝タブロイド判のメッセージと卒業生に向けた贈る言葉を読み返してみてください。

あの日あのとき  2011  第87回箱根駅伝ドキュメント

(震災に向き合うための監督メッセージ)

  未曾有の被害をもたらした東北地方太平洋沖地震の災害は多くの尊い命を奪いました。
犠牲になられた多くの方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆様方に深くお悔やみを申し上げます。そして大勢の被災者は、今もなお深い悲しみと絶望の中にあり、日々過酷な生活を強いられています。そのような状況の中にあっても、懸命に日々を過ごされている全ての皆様に、心からのお見舞いを申し上げます。また、被災地の復興と災害対策に日夜を問わずご尽力いただいております、関係者並びにボランティアの皆様方におかれましては心からの敬意と感謝の気持ちを届けたいと思います。
  被害にあわれた皆様方や、懸命に復興作業に従事されている皆様方を勇気付ける言葉はないものかと考えてはみるものの、どのような励ましの言葉も小さく消えてしまいそうなほど、厳しい現実の中でおられることに胸が痛みます。
  私たちは走ることを通じて多くの方々から励ましの言葉や「頑張れ!」の声援をいただいてまいりました。その一言がどれほど選手たちの心を奮い立たせ、もう一歩の頑張りを生んできたことでしょう。励まそうとする思いと、頑張ろうとする思いが重なったとき、大きな力が生まれてきた事実をたくさん記憶にとどめています。あるいは、くじけそうになった気持に励ましの心が染みた時、折れる寸前の枝が節を得てもう少し伸びたような体験も一度や二度ではありません。だから先ず「頑張って下さい」と励ましの言葉をかけずにはいられないのです。
  しかし状況によっては、「頑張れ」と声をかけていただきながら、これ以上どうすればいいのかと途方に暮れることもあったような気がします。時として、あまりも「頑張れ」の言葉が重く、プレッシャーのように心にのしかかってきた経験もあることは事実なのです。それゆえに、安易な気持ちで被災されている皆様や、過酷な状況の中で懸命に復興作業に汗を流されている方々に対して「頑張れ」という言葉をかけることをためらってしまうのです。
  それでも「頑張れ」の言葉が持つ様々な力を知る長距離・駅伝に携わる一人の人間として、心を込めて「頑張れ」の言葉を届けたいとおもいます。なぜならば、私たちは皆様の心のそばで、せめて寄り添う思いを持ち続けたいと願っているからです。
  今回のこの冊子は25回の箱根駅伝出場の記録としてではなく、人の思いと人の力が結ばれて今があること、そしてその思いを襷という絆がつむいでくれた足跡であることを再確認する為に編集させていただきました。
  被災で苦しみ、花を見ても青い空を眺めても勇気や元気を奮い起こすには至らない状況にある皆様に対して、何の励ましにもならないかもしれません。それ故に、少しでも元気な気持ちを取り戻していただけるよう、私たちがかけなければならない「頑張れ」の言葉を先ず私たち自身がしっかりと受け止めて頑張ってゆきたいと思います。
  駅伝の代表選手として襷を肩にかけて走るランナーも、支えてくれるチームメイトがいるからこその襷であることを十分に理解しています。多くの方々に支えられて歩んできたチームであるからこそ、苦しい局面を皆で力を合わせて乗り切ろうとすることができることを学んできました。
  これから長年に渡ると予想される日本復興プロセスの中で、私たち学生競技者がやるべきことをしっかりと見極め、速やかに実行して行こうと決意しています。
  あらためて、この難局を皆で力を合わせて乗り越えて行きたいと思います。

あの日あのとき

今日からOBとして社会に旅立つ諸君に贈るエール

(2011・3・15)

『状況の厳しさは不可能を計る物差しではない。
意欲と知恵を喚起させるカンフルだ!』

今年の手帳の一ページ目に私が書き込んだ言葉です。

  大学を卒業する頃には、多かれ少なかれ多少の挫折や葛藤を経験していますよね。
振り返ってみると、平穏な日常を送りたいと願ってはいるものの、些細なことに傷つき深く落ち込んでしまうことがあったと思います。肩にのしかかる重圧を避けることも、進む事も出来ない焦りに苛立ったこともあったでしょう。しかも腹の底から湧き上がる、悔しさや惨めさをぶつける場所も見つからない、そんな時がきっとあなたの心に刻まれていることでしょう。
  今日まで頑張ってきた君たちだからこそ、これからの人生に困難苦難がつきものと、充分すぎるほど理解をしているものと思いますが、これからも越えなければならない壁を必死によじ登ろうとしなければならないのが現実でしょう。
何も卒業を前に君たちを驚かそうと思ってこのような書き出しをしたわけではありません。
試練なんてものは過去にもあったし、これからだっていつどのような形で自分の身に降りかかるかなんて誰にもわかりません。
どんなにリスクマネージメントをしようが突然火の粉は降りかかるものなのです。
それゆえに「人生において何が起きるかが重要ではなくて、それをあなたがどう捕らえるかが重要であり、そこから一歩を踏み出す勇気と知力そして気力が必要なのです」ということを最後に伝えたいと思ったからです。
  絶体絶命のピンチ!逆風の上に足場はグラグラなんて時に、チョイとこの言葉を思い出していただけると、少しはお役に立てるのではないかと思っています。
未知との出会いは喜び!
未経験との出会いは感謝!
20年やそこらの、ほとんどを学校という世界で過ごしてきたくらいじゃ世間というワンダーランドのほんの少ししか垣間見ていないに等しいのです。
知らなくて当然。やったことが無い。上手くいかない。そんなことぐらいで悲観することは何も無いのです。
でも、これだけは肝に銘じておいて下さい。
君たちがこれから先、分水嶺に立つ様な状況になった時、そんな時は少々重い足取りであっても、確かな方向に一歩を踏み出してください。
厳しさを求め、進むべき道が茨の道であっても、躊躇なく選択する勇気と決断力をこの競技部で身につけていると思うからです。
陸上競技と出会い、仲間と共に歩んだ道の先が常に「今ここからのスタートライン」なのですから。

四年前のメッセージをどのように受け止めましたか?
あの日あの時の言葉は卒業生に向けた言葉としてだけではなく君たち自身が身に着けてきたことでもあったのだと思います。

2015卒業生に贈るメッセージ
箱根駅伝を振り返ってタイムラインに沿って


第89回箱根駅伝総合11位。
シード権の10位を視野でとらえながらも届かず無念のゴール。
この悔しさがチームに活力を与え、チーム力も向上し迎えた第90回箱根駅伝。
上位進出の足掛かりを築くべく戦いを挑んだものの、2区のエースオムワンバの疲労骨折により途中棄権。
チームのモチベーションを奪い取ってしまうほど強烈なアクシデント。
しかしながら、現実をしっかりと受け止め、選手は言うに及ばずサポートや応援体制を含めこの逆境の中を走りぬいてくれた。
その姿は途中棄権のため公式記録には残らないレースであったが、私たちの記憶の中にしっかりと刻み込まれたレースであったと確信している。
人生はリセットできない。
しかしながら常に今ここからのリスタートはできる。
まさに3区以降の走りは自らの意志と気力でリスタートを切ってくれたと言える。
だからこそ終了後大手町の解散式でこのように君たちに語りかけることができた。
「人生において何が起きるかが問題ではない。それをどのように受け止め自分たちの人生に生かしてゆくかが重要だ。過去を変えることはできなくても未来を変えることはできる。であるならば君たちと共に明るい未来に向かって共に頑張ってゆこうではありませんか!」
まさに頂点に向かって駆け抜けるような一年間であった。

そして2014年を終えい新年を迎えようとする大晦日。
新たな試練が待ち受けていた。
2区を予定していたエノックの故障。
朝練習後の突然の報告に愕然とした。
コーチ・ドクター・トレナーと協議の末、選手起用の断念。
予定外の区間変更とともに、レースを心待ちにして調整を進めている選手への通達。
向き合わなければならない現実の前で息苦しい時間の経過が重くのしかかる。

一夜明けた元旦の朝、
「あけましておめでとうございます」の挨拶の後に全くめでたくもない話からはじめなくてはならない。
全部員への通達。
全員で手をつなぎ、その輪の中で奥歯をかみしめながら絞り出した言葉。
「エノックの故障により緊急の区間変更をせざるを得ない。目標達成には危機的状況だが全員で力を合わせ一つでも上の順位を目指して行こう。人生において何が起こるかが問題ではなく、それをどのように受け止めてこれからの自分たちに生かしてゆくかが重要なのだと言った。その言葉そのものが、私たちが今向き合っている現実に向けられた言葉だと思う。明日からのレースで山梨学院大学のスピリッを示してほしい。」
それぞれの部員の中に動揺がないわけがない。
慰めやいたわりの言葉は通用しない。
しかも、励ましの言葉を掛け合う事すらも細く消え入りそうになっている。
早朝の凛と張りつめた空気の中・・・思いが伝わってくる。
・・・一呼吸のうちに一歩踏み出す勇気に変えてゆくのを感じた。
もはや選手やチームメイトの頑張りを信じるのみと、心の曇りを未来志向に上書きすることができた。

レースが始まった。
更に苦難の扉が待ち受けていた。
1区の出遅れ。
絶望的な差。
前の選手が見えない。
位置は最下位。
2区終了時点でシード権内の位置まで約2kの差。
テレビやラジオのアナウンサーも解説者も順位上昇すら厳しいレース展開を説明している。
「過去90回の大会で2区最下位からシードを獲得した大学はない。」
「過去この位置で5分以上の差を逆転したチームもない」
ネガティブな情報が否応にも耳に飛び込んでくる。
それらの情報は事実であっても、不可能を測る物差しではない。

大晦日のグランドで、エノックを含む区間変更を告げた時のキャプテンのあの言葉。
「エノックに頼るのではなく、エノックの走りを生かせるチーム力をつけようと誓い合って今日までやってきた。まさにそれを試されようとしている。みんなで力を合わせて頑張ろう!」
この思いの蓄積なくしてこの難局を乗り切ることはできなかったに違いない。

ただ一人の思いだけでは成し得ない。
数日間の思いだけでも不足する。
ただひたすらに、皆で誓い合った言葉を信じて鍛えあい、そして走り抜けた日々。
チームの存在意義はそこにある。

「頑張ろう日本!」を縫い付けたユニフォーム。
実は誰かを勇気付ける為ではなく、そうあってほしいと願う自分に向けられた言葉である。
実は、自分たちが頑張り続ける勇気をたくさんの方からいただいているのです。
その自覚のもとに走り抜くからこそ、明日へ向かう勇気を誰かに与えているのかもしれません。
それを震災の年に入学しそして今年旅立つ君たちの心に刻んでほしいと願う。
箱根駅伝のあの舞台で箱根路を走り抜けた選手のみが張りつけた「頑張ろう日本」のステッカーはすべてのチームのメンバーと、とりわけ卒業してゆく君たちの胸に永遠に刻み付けておいてほしいと願う。

2015・3.11 AM9:28記

▲Page Top

新年度のスタートラインに立つ君たちへ

2014年4月

  いよいよ新年度の幕開けです。学年もひとつ上がり、新入生も集合して、グランドの雰囲気も活力に満ちてきたと思います。それぞれが、夢や希望に胸を膨らませてトレーニングに励んでいる事でしょう。新たな旅立ちを迎えた、君たちの限りない成長を、願う気持ちは今も昔も変わりありません。
  成長を願う気持ちがあるとすれば、その方法を、指導の中で生かして行かなければなりません。今君たちが思い描いている夢や目標が、挫折や失望に摺りかえられないように、この時期にこそ伝えなければならないことがあります。今回は、新入生を迎えてスタートする新チームにとって大切な話をしようと思います。
  まず自分の夢や目標を、真っ白いキャンバスにデッサンしてみることを想像してみてください。それを一枚の絵として完成させたいと願う事から、君たちの物語はスタートします。その為の日々が、時にはがむしゃらな努力を必要とする事もあるでしょう。しかし、単に闇雲な頑張りが通用する世界ではありません。その頑張りが徒労に終わることの無いように、しっかりとした考えを持ってスタートを切らなければなりません。
  その考え方とは、まず自分が叶えたい夢を明確にすることから始めます。例えば、これから始まる数年間の、学生生活の中で、自分のゴールが、目標や目的としてはっきり捉えていなければならないということです。そうすれば、ここで初めてスタートラインに立てたことになるのです。おぼろげな夢ではなく、信念を持って成し遂げたい目標(GOAL)を目指してほしいのです。夢が夢のままでは、行動に移せないでたたずんでいるだけの人生になってしまうからです。
  次は、今自分が立っているスタートラインと、目指そうとするゴールとの間にある距離感を把握しなければなりません。言い換えれば、現実を知るということです。現実(REALITY)とは、今の自分の力でありチームの現状でもあるのです。それを知りさらに見極めることによって、ゴールまでの道のりや、今の自分に何が不足して、何が足りているかを知ることができるからです。現実から目をそらしていては、進むべき道を見失い前進はありえないのです。
  さらに、目標が明確になり今の自分を知れば、それを繋ぐ方法がいくつか見えてきます。「別け登る麓の道は変われども、同じ高嶺の花を求めん。」というように、その方法や選択肢(OPTION)は、幾通りもあって当然だと思います。常に目の前にある選択肢の中からひとつを選び、判断と決断を迫られるのが、スポーツの世界だと思います。指導をする側も、指導を受ける側にも、たくさんの選択肢を準備できる発想の豊かさと、その中からひとつの方法を選ぶ判断力や決断力を持たなければなりません。たとえ迷いの中にあっても、うぬぼれたり傲慢にならず、謙虚さと向上心を持ち合わせていれば、道標となり、進むべき道や助言を与えてくれる人にも恵まれます。何より指導スタッフや、先輩・チームメイトがいるではありませんか。自分の経験だけが頼りの選手はいつか頭打ちになってしまいます。チームの歴史やすでに経験を積んだ先輩や選手たちの話に耳を傾けることによって多くの経験を積んだも同然になることが可能なのです。そのようなことを自然と分かち合える雰囲気のチームこそが、強い絆で結ばれたチームと言えるのです。
  最後に、夢を追い目標を達成するためには、強くたくましい意志(WILL)が必要となります。言い換えると、自ら進んで行う実行力ともいえます。前進とは、判断と決断によって選択した道に、勇気を持って一歩を踏み出す事です。たとえ小さな一歩であり夢の実現には遥かに及ばなくても、それを刻んでゆく姿勢こそが、評価すべき成長といえるのかもしれません。なぜならば、これまでに書いた目標(GOAL)・現実(REALITY)・選択(OPTION)・意志(WILL)、それぞれの頭文字を繋ぎ合わせると、G-RーO-W、成長するという意味の単語となるからです。

▲Page Top

『川田未来の森運動公園』で生まれるノンフィクションストーリー

2014年4月

  山梨学院大学での4年間という時の流れを駆け抜ける君たちの宝物は、心の中に刻んでゆく悲喜こもごもの思い出でしょう。それは、『川田未来の森運動公園』で共に汗を流し鍛えた心と身体は、架空の時間の集積ではないことの証です。
  無限に広がる未来に向けて羽ばたいてほしいという願いから、この地が"未来の森"と命名されました。スポーツは常に厳しい現実を目の前に容赦なく突きつけてきます。未来に向けての一歩が踏み出せないほど苦しみ悩んだこともあるでしょう。もしかすると未来に背を向け逃げ出したい日々があるかもしれません。無駄な努力などないはずなのに、結果に反映しない悩みを抱えて過ごすこともあるでしょう。それでも、過酷な日々を乗り越えた先には必ず感動の一瞬が待ち受けていると信じて、このグランドに足を運び続けてほしいのです。
  フィールドの中央に立って周りを見渡すと、山梨の自然と風光明媚な南アルプスや八ヶ岳・御坂峠の山々が、そんな君たちを包み込むようにしていることに気づかされます。その先にそびえる霊峰富士の頂は、そこを目指せと促されているように感じることができます。
  まさしく"未来の森"にふさわしい環境で私たちは過ごすことができるのではないかと再確認してほしいのです。
  このグランドを起点にして君たちに贈るメッセージは、未来に向けて君たちがどのようにして歩んでゆくかという事です。
  現在から未来を夢見るだけではフィクションの世界を漂うだけの夢想家でしかありません。
  夢を追い続けるロマンは尊いものですが、単なる夢想家で君たちの人生を終えてほしくはありません。競技者として必要な志は、過去から学びそして未来のあるべき姿に向かって一歩踏み出す勇気を持つことです。それを目標と呼びます。その時間軸の中で生きることこそがノンフィクションの世界であり、自分の歴史を刻むことになるのです。
  まさしく現在とは過去の結果、未来の原因です。
  未来の森運動公園で織り成す絆と志の模様は、今後の君たちのノンフィクションストーリーにどのような展開を見せるのか楽しみです。
  これからの人生で、喜怒哀楽の節目があったならば静かにかに目を閉じてこのグランドで過ごした日々を思い起こしてみてください。まぶたに映る心象風景は、君たちの心に寄り添いそして踏み出すべき一歩を示す道標となってくれるでしょう。
  "未来の森"という名前の本当の意味と価値を感じるときは、君たちの未来の中にあるはずです。そうなるための日々がこのグランドで築かれる事を願っています。

▲Page Top

関東学生陸上競技対校選手権大会 ~学生達の熱き戦い~

2008年5月

第87回関東学生陸上競技対校選手権大会が、5月17日~18日と24日~25日の2週に渡り、国立霞ヶ丘競技場(東京オリンピックが開催)で開催された。
箱根駅伝が84回大会を迎えることを考えればその歴史の重さを痛感する。
通称“カンカレ”と呼ばれている。

関東学生陸上競技連盟に登録している大学は今年度149校登録者数は6000名を越えている。
この大会は男子の場合1部16校と2部校に別れて対校選手権として代表選手が戦う。
各種目1位8点~8位1点をもぎ取ろうと、おのずと競技も応援も白熱してくる。
男子の場合走・跳・投・混成・リレーを含めて23種目の総合得点で上位14校が1部残留となり下位2校が2部に降格。2部総合上位2校が1部校に昇格する。
今年の大会の総合得点の結果、来年の一部16校(日大・順大・筑波・東海・国士・日体・中大・早大・山梨学院・法政・東洋・駒大・慶大・城西・国武・明大)が決定した。

山梨学院は1500m優勝、5000m4位、10000m優勝、3000SC2位・7位ハーフマラソン優勝、10000m競歩2位・4位となり総合50点を獲得し1部残留を果たした。

1985年に創部した強化育成クラブとしての陸上競技部は、2年目で箱根駅伝初出場、7年目(箱根出場6回目)で初優勝。インカレは10年目の節目に1部校昇格を果たし今日まで1部校としてのプライドを胸に戦いの場に立っている。

入賞をかけての熱戦や、一部残留、又は昇格を賭けた死闘。
まさしく主役は戦いの場にたつ選手たちに違いはない。
しかし、この巨大な要塞のようなスタジアムの中で、主役と脇役を隔てる壁は無いとさえ感じる。
なぜならば、代表選手と応援、勝者と敗者、その明暗は明確でありながら、それを超える学生競技者のプライドと連帯を感じ取ることができるからに違いない。
それは、この大会も箱根駅伝と同じく、学生が母体となって組織運営する、関東学生陸上競技連盟が主催しているからだろう。
スタンドから声援を送る圧倒的多数の競技部員を含め、連日約400名の学生役員と学生補助員、約150名の学生審判員が、参加各大学から集まり、毅然と競技運営にあたっている。
その姿を見るにつけ、現場で指導に当たる私の目からは、誰かのために尽くし、サポートすることが決して裏方の仕事のように見えないからだ。

この大会の数年前のプログラムの中で、当時会長の故広瀬豊氏が、「関東学連は大正8年、1919年に設立されました。まだ日本陸連も日本学連も設立されていない82年(現在からは89年前)も前に、当時の大学、高専の選手たちが相集い、周囲の圧力に抗する形で、互いの親睦と切磋琢磨を目指して結成したのです。」と熱く語っている。
なるほどその歴史を紐解けば、今日に至るまでに、オリンピックをはじめ各種の国際大会に、多数の選手を送り出しているではないか。

優勝者に送られる優勝賜杯の数は、男子23種目、1部・2部校を合わせて46個。女子21種目、合計67個となる。
この中には、男子一部校で、100m・吉岡隆徳氏杯、10000m・村社講平氏杯、三段跳・織田幹雄氏杯、などかつてオリンピックで活躍した各大学OB選手の名前が各種目にある。

箱根駅伝創設のエピソードにしても、関東学生陸上競技連盟創設のきっかけも、当時の学生競技者のパイオニア精神と行動力が有っての事だったのだ。
その“志”の延長線上に、今の自分達が立っていることを忘れてはならないと思う。

閉会式を終え、スタンドでチームメイトの力走に声援を送っていた部員に声をかけると、精一杯の応援でほとんど聞き取れないほど声がかれている。
彼らの送った声援が、選手に届いたかどうかを図る指標などどこにもない。
しかしながら、お互いの心の中で共鳴しあっていたことはチームメイトの誰もが確信している。
そんな彼らの後ろ姿に、社会を生き抜くたくましさを垣間見た。
そして私自身も、明日からまたグランドに立つ力を与えてもらった気がする。

歴史の中に名を残していった選手たちの中にも、彼らのような記憶に残るチームメイトに、支えられていたことを思わずにいられない。

(監督 上田 誠仁)

▲Page Top

関東学生陸上競技対校選手権大会 ~学生達の熱き戦い~

2008年5月

第87回関東学生陸上競技対校選手権大会が、5月17日~18日と24日~25日の2週に渡り、国立霞ヶ丘競技場(東京オリンピックが開催)で開催された。
箱根駅伝が84回大会を迎えることを考えればその歴史の重さを痛感する。
通称“カンカレ”と呼ばれている。

関東学生陸上競技連盟に登録している大学は今年度149校登録者数は6000名を越えている。
この大会は男子の場合1部16校と2部校に別れて対校選手権として代表選手が戦う。
各種目1位8点~8位1点をもぎ取ろうと、おのずと競技も応援も白熱してくる。
男子の場合走・跳・投・混成・リレーを含めて23種目の総合得点で上位14校が1部残留となり下位2校が2部に降格。2部総合上位2校が1部校に昇格する。
今年の大会の総合得点の結果、来年の一部16校(日大・順大・筑波・東海・国士・日体・中大・早大・山梨学院・法政・東洋・駒大・慶大・城西・国武・明大)が決定した。

山梨学院は1500m優勝、5000m4位、10000m優勝、3000SC2位・7位ハーフマラソン優勝、10000m競歩2位・4位となり総合50点を獲得し1部残留を果たした。

1985年に創部した強化育成クラブとしての陸上競技部は、2年目で箱根駅伝初出場、7年目(箱根出場6回目)で初優勝。インカレは10年目の節目に1部校昇格を果たし今日まで1部校としてのプライドを胸に戦いの場に立っている。

入賞をかけての熱戦や、一部残留、又は昇格を賭けた死闘。
まさしく主役は戦いの場にたつ選手たちに違いはない。
しかし、この巨大な要塞のようなスタジアムの中で、主役と脇役を隔てる壁は無いとさえ感じる。
なぜならば、代表選手と応援、勝者と敗者、その明暗は明確でありながら、それを超える学生競技者のプライドと連帯を感じ取ることができるからに違いない。
それは、この大会も箱根駅伝と同じく、学生が母体となって組織運営する、関東学生陸上競技連盟が主催しているからだろう。
スタンドから声援を送る圧倒的多数の競技部員を含め、連日約400名の学生役員と学生補助員、約150名の学生審判員が、参加各大学から集まり、毅然と競技運営にあたっている。
その姿を見るにつけ、現場で指導に当たる私の目からは、誰かのために尽くし、サポートすることが決して裏方の仕事のように見えないからだ。

この大会の数年前のプログラムの中で、当時会長の故広瀬豊氏が、「関東学連は大正8年、1919年に設立されました。まだ日本陸連も日本学連も設立されていない82年(現在からは89年前)も前に、当時の大学、高専の選手たちが相集い、周囲の圧力に抗する形で、互いの親睦と切磋琢磨を目指して結成したのです。」と熱く語っている。
なるほどその歴史を紐解けば、今日に至るまでに、オリンピックをはじめ各種の国際大会に、多数の選手を送り出しているではないか。

優勝者に送られる優勝賜杯の数は、男子23種目、1部・2部校を合わせて46個。女子21種目、合計67個となる。
この中には、男子一部校で、100m・吉岡隆徳氏杯、10000m・村社講平氏杯、三段跳・織田幹雄氏杯、などかつてオリンピックで活躍した各大学OB選手の名前が各種目にある。

箱根駅伝創設のエピソードにしても、関東学生陸上競技連盟創設のきっかけも、当時の学生競技者のパイオニア精神と行動力が有っての事だったのだ。
その“志”の延長線上に、今の自分達が立っていることを忘れてはならないと思う。

閉会式を終え、スタンドでチームメイトの力走に声援を送っていた部員に声をかけると、精一杯の応援でほとんど聞き取れないほど声がかれている。
彼らの送った声援が、選手に届いたかどうかを図る指標などどこにもない。
しかしながら、お互いの心の中で共鳴しあっていたことはチームメイトの誰もが確信している。
そんな彼らの後ろ姿に、社会を生き抜くたくましさを垣間見た。
そして私自身も、明日からまたグランドに立つ力を与えてもらった気がする。

歴史の中に名を残していった選手たちの中にも、彼らのような記憶に残るチームメイトに、支えられていたことを思わずにいられない。

(監督 上田 誠仁)

2010年3月 (1) #1

▲Page Top

第84回箱根駅伝のゴール写真に寄せて

2008年1月

スポーツの持つ魅力のひとつに、心象風景を共有できることが挙げられる。
悲喜こもごもの思いを、同じ波長で感じる一瞬が必ず存在するからだ。
ましてやチームメイトやスタッフなど、長い助走のような日々を共にした者にとって
その一瞬は永遠の記憶として刻まれることすらある。

ゴール
(写真提供: 報知新聞社)

1月4日の報知新聞のページをめくると山梨版に掲載された写真が目に飛び込んできた。
報道写真としてあまり見られないアングルだが、心に響く写真だと感じた。
ピントは選手にではなく、ゴールラインの先で待ち受けるチームメイトに合わせられている。
大勢の報道陣に囲まれるこのゴールエリアは、チームの代表2名だけが入ることが出来る聖域だ。
右腕を高々と上げて笑顔で迎えるキャプテン篠原と、静かだが感慨深い面持ちの主務の加藤。二人の視線はゴールを目指すアンカー中川としっかりと結ばれている。
この一瞬に感じた心象風景をこの写真を通して、私もそしてチームの誰もが感じることが出来るだろう。
今回走ることが叶わなかったキャプテンは、個人としての無念を昇華した笑顔に、チーム作りの牽引者としてその重責を全うしてきた誇りと爽やかな風を感じる。
常にチームの縁の下の力持ちとして支えてきた主務の、選手たちやチームを見つめ続けてきた暖かな眼差しはチームへの思いが込められているようだ。
箱根駅伝のゴールテープが胸に触れた瞬間にこの大会は完結する。しかしアンカーの選手はもはやゴールテープにではなく、その先に待ち受けるチームメイトの胸に飛び込もうとしている。
ゴールライン数歩先の、襷が帰るべき場所へ。
選ばれた10区間の選手に運ばれた襷は、次の大会に向けての日々を送る場所へと帰ってきたのだ。
しかも、「ゴールラインを超えた瞬間に来年の大会に向けてのスタートが切られている」としばしば語られるように、アンカーは来年への第一歩を踏み出す選手ということになる。どのような一年にしなければならないか、それは襷が一番わかっている。
その襷を待ち受ける二人の表情が今年のチームのそしてこれからのチームのあるべき姿を示している。
監督が同乗する観察者はゴール手前数百メートルでコースから離れなければならないので、
実際にゴールシーンを見ることが出来ない。
それが許されるのは優勝チームだけなのだ。

(監督 上田 誠仁)

▲Page Top

2007 新年度の挨拶

2007年4月

今年の桜は、寒の戻りで咲き控えていた桜のつぼみが、穏やかな春の陽射しを待ちわびたかのように咲き始めました。
人の心を引き付けて止まない春を象徴する桜は、絢爛豪華な満開の時や、儚く散りゆくせつなさなどが古来より詩歌に詠まれ、絵画となって親しまれています。
私はまず、春まだ遠い名残の寒さが残る頃、良く目を凝らして開花間近の力を一杯に溜め込んだつぼみを見ることが好きです。
健気に冬を乗り越えて、一心に咲こうとする姿がそこはかとなく心にエネルギーを満たしてくれるような気がするからです。
つぼみの先が思いのほか紅色であることは、血の滲むような努力の名残であるように思えます。その紅色こそがやがて花びらを桜色に染め、柔らかく温かな風情を醸し出すもとになっているのだろうと思えてきます。さらに、薄い花びらからは似つかぬ無骨で硬い外皮などからも、人としての生き様を語りかけているように感じるからです。
さながら「開花前は寄って見よ、開花すれば離れて見よ、散り行く時は目を閉じて思え」が私の桜鑑賞のツボです。
私の好きな言葉で「なにも咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ」があります。創部以来チームを支える言葉のひとつでもあります。その意味を毎年のように思うのもこの時です。
今日から新たなステージに立つ諸君を迎えるように咲く桜は、一瞬の華やかさに浮かれることなく、しばらくすると潔くその花びらと別れます。そして、次の来るべき春を目指して、葉を繁らせ、根を張り、力を蓄えていきます。
やがて来るであろう春を待って、寒い冬の間に根を張る努力をする。まわりから見れば枯れ枝のようにしか見えない冬木立。その時期にこそ根を張るチャンスがあります。
しかし、根を張る努力と言っても簡単なことではありません。根を張ろうとするその先には岩盤があったり、なかなか水脈に行き当たらなかったりします。
それは、スポーツの世界におけるスランプや怪我・故障などと重なります。岩盤に突き当たれば、それを包み込まなければなりません。水脈に行きつくまで、たとえ枝葉が枯れようが、根を伸ばす努力を放棄してはなりません。
苦しい時や不運を感じた時、人は往々にしてこれが限界だとあきらめてしまいます。
しかし、それは自分のコンパスで引いた自分なりの限定ラインであり、決して限界ではないことを知っておいてほしいと思います。
その限定ラインの内側で、「どうせ」「しょせん」と言う言葉であきらめるよりも、自分にとってはいちばん苦しい、そのラインの外側を夢見てチャレンジし続けることを願っています。
そして、そのラインを超えたとき、今まで小さかったコンパスが大きく成長していることに気付くでしょう。
それこそが、スポーツの醍醐味であり、面白さだと確信しています。
選手それぞれが、大地に根を張りつづけ、自分の持つコンパスを長く、大きく広げて行くことこそが、結果以上に大切なことのように思うからです。
人生における過去を変えることはできないけれど、自分と自分の未来は変えることができます。
年度の始めなればこそ、今の初心を桜の木に重ねてください。そして、四季の移ろいの中で思い起こしつつ、ともに歩み続けましょう。

(監督 上田 誠仁)

▲Page Top

チームカラー

2007年3月

1985年の春、山梨学院大学強化育成クラブとして陸上部が創部され、時をおなじくして監督に就任した。時節の移ろいを表す言葉に「十年一昔」という言葉が使われるが、いつの間にか20年以上の歳月と歴史を刻んできたことになる。時の流れの迅速感や無常感は、職業柄嫌というほど味わってはいるものの、その時間の流れの中で出会い、旅立っていった選手たちのことを思うと、ことさら感慨深いものがある。
それぞれの選手たちは、大学での4年間をチームのプライドと自己の夢の実現に向けて、ユニフォームに身を包み、挑戦し、戦う。だとするならば、指導の原点として、その思いを象徴するなにかをチームのユニフォームや襷の色としたいと、創部に当たってまず考えた。そんなことを、桜咲く爽やかに晴れた青空を見上げて、思い起こした。なぜならば、ある人が「山梨学院大学のブルーのランニングシャツは晴れた日の青空のようですね。なにかいわれや理由があの色にはあるのですか」と尋ねてきたからだ。
それは、瀬戸内の海や空の色と、甲府から眺める風景から、思いを馳せたことから語ることができる。
私は、大学を卒業して4年間、故郷香川県の三豊工業高校で、瀬戸内に浮かぶ本島中学での3年間を含む貴重な教職経験をさせていただいた。少年時代から親しんだ瀬戸内ののどかな風景と相まって、色褪せることなく記憶のなかに息づいていた。そんな思いとともに山梨でスタートをしようとしたときに見渡した風景は、対照的であり、さらに共通点に気付き、その瞬間にこれこそがチームに進むべき道だと心に決めた。山梨の甲府は四方を山に囲まれた盆地である。富士山の美しい稜線と、刻々と変化してゆく空の色のコントラスト。それに呼応するかのように南アルプスや八ヶ岳の残雪に映し出される生き生きとした色彩の競演は、しばしば心を奪われてしまうほど美しい。穏やかに朱色や青を滲ませてゆくような、たおやかな瀬戸内の風情とは対極にあるように思える。しかしながら、甲府の地から見上げる空の青さと、凪の海に映し出される瀬戸内の空の青さは、そのとき確実に私の心の中で溶け合っていた。
少年時代、釣竿の先に広がった空と海の眩しいほどの青き原風景と、山梨学院に赴任して最初に仰ぎ見た深く吸い込まれるような空の青さの、感動と決意。それは心の中で幾重にも織り交ぜられ、これから始まるチーム作りの基本となるチームカラーにしようと決めたことを思い出す。少年時代の青き原風景が故郷を思い出す尺度だとすれば、その思いがあるからこそ甲府の空から果てしなく広がり行く無限の空に思いを馳せることができたのかもしれない。
甲府盆地から仰ぎ見る丸く切り取られたような空なればこそその空の広がりを思うのは、ゆったりと流れる河のように対岸を見渡せる瀬戸内も大海に通じていることを思うことと何ら変わりはない。
我々チームの選手たちの肩にかけられている空の色の襷は、限りなく広がり行く空に向かって羽ばたいていってほしいと願う色であるのかもしれない。

(監督 上田 誠仁)

▲Page Top

オツオリの思い出

2007年2月

小学生の頃、近くの公園が遊びの本拠地だった。学校が終わってここに行けば、特段約束などしなくても、なじみの仲間と日の暮れるのも忘れて遊ぶことができた。この公園の横に武道場があり、低学年の頃は滑り台の上から勇ましい声と竹刀を打ち込む姿をよく覗き込んでいたものだ。興味や憧れもあって、いつしかそのひんやりとした板張りの道場で剣道を習うようになっていた。そこの年老いた館長は、私たちちびっこ剣士を集め、事ある毎にこんな問答をしてきた。「おまえたちは強くなりたいのかい」と問う。私たちは当然「ハイ」と答える。すると、決まって「いちばん早く道場に来て、最後に道場の鍵をかけて帰る、これがいちばん強くなる方法だよ」と教えられた。当時は、どれほど深い意味があるのかも知らずに、生意気盛りの私は「先生、いつもおなじことばかり言うけれど、秘伝の巻物でも出してきて、円月殺法みたいな必殺技を教えて」などと能天気なことを言って度々たしなめられた。それから20年近くの歳月を経て、私は山梨学院大学陸上競技部監督として、ケニアからの留学生オツオリを出迎えるため、成田空港のゲートに立っていた。彼は到着するや否や、私に「日本でこれから頑張って行くためになにかアドバイスをお願いします。記念すべきファーストアドバイスだからしっかり守ります」と聞いてきた。走るフォームのことなら後でもと言ったが、どうやらそうではないらしい。ケニアの指導者から「日本に着いたら、大学のコーチに最初にかけてもらった言葉を胸に刻んで頑張るように」と言われているので、今ここから始まる日本での、留学生活に向けてのアドバイスがほしいと言うことらしかった。なんと言って答えれば良いのか考えていると、心の中に刻まれていた言葉が思い出された。そして「誰よりも強くなりたいのならば、少しでも早くグランドに出てきて体の準備をして、時間の許す限りプラスアルファのトレーニングをして帰りなさい」と伝えた。その後チームに合流した彼は、その言葉のとおりに実践した。当時、早朝練習の集合時間が6時半頃だったにもかかわらず、集合時点ですでにしっかりと汗を滲ませていたのだった。その姿に触発されて、皆が集まる時刻が徐々に早くなった。数ヶ月後には6時と言えばすでに全員がスタートを切れるようになっていた。この原動力は、監督の指示ではなく、まぎれもなくオツオリという1人の外国人留学生の真摯な姿がチームを動かしたといえる。そんな出来事や思い出の数々が連鎖的に蘇えって来ると、とても故人を偲ぶという気になれずに、携帯番号をプッシュして一杯呑みに来いよと声をかけてしまいそうになる。どこまでも不器用で寡黙、しかしながら生真面目で思いやりに溢れた笑顔は、単に記録に残ったランナーとしてではなく、我々チームの中に末永く生き続ける記憶にとどまるチームメイトとして語り継がれてゆくことであろう。

(監督 上田 誠仁)

▲Page Top